2015年07月16日

集団的自衛権

 集団的自衛権を認めた安保法案が本日衆院を通過するそうです。集団的自衛権は憲法で認められないという建て前が従来の政府の公権的解釈でしたし、多くの憲法学者の意見でした。
 言うまでもなく日本は立憲主義を国是とする法治国家です。国家の安全があってこその立憲主義等とお馬鹿なことを言われる方もおられますが、そうではありません。国家の安全に問題のある憲法の条文があるのであれば、それを世に問い憲法を改正するのが立憲主義の建て前です。
 勿論、法の解釈は時代によって変更されることがあります。しかしながら、その変更には当然超えてならない矩があります。例えば表現の自由をはじめとする憲法上の基本的人権も条文上公共の福祉により制限されます。しかしながらその公共の福祉の内容を時の権力者がどのように解釈してもいいものではありません。公共の福祉には積み重ねられてきた公権的解釈があります。それを無視して時の権力者がどのように解釈しても良いのなら基本的人権の保障等有名無実です。
 国際情勢が変化したからかような解釈変更を認めて良いのだとすると、次は国際情勢が変化したから従前認められていた表現の自由やプライバシー権ももっと制限して良いのだとなりかねません。
 非常に立憲主義の国家としての基盤が危うくなっています。
posted by funatomi at 15:05| 日記